何処ぞの研究によると人間の脳味噌とやらは
呆としている時の神経回路は何かをひらめく時のそれと似ているという。
おそらく神経が緩んで変なトコロと変なトコロとが繋がってしまうのだろう。
そして我らがThe End of Asia、ニッポンには
脳味噌を問答無しに呆とさせる恐るべき装置が一家に一台備わっている…
浴槽である。
この浴槽に浸かり、脳味噌を呆とさせたとあれば、たちまちに世界を揺るがす大発明が授けられる優れもの。
かのノーベル医学賞、山中伸弥教授も浴槽でひらめき
そして風呂場で叫んだという。
アルキメデスは感動のあまり叫ぶに飽き足らず
裸のままで市井を走り回った逸話もある。
きっと5分のウチに白バの王子様が手錠を携えてやってきた事だろう。
そして私もまた、風呂場で叫んだ…とまではいかなかったが発見をなした。
以前、こんな話を聞いた事がある。
「本をたくさん読んだ人は麻薬でトリップした時に気持ちよくトリップ出来る、それは今まで読んできた本の総まとめが遺憾なく発揮されるからである。」
という何とも危険な香りしかしない話である。
しかしながらこの話には妙な説得力がある。
というのも、麻薬に手を染めるまでもなく我々は普段より、
人によっては毎日トリップしているからだ。
それは「夢」である。
夢の原理というのは寝ている間に海馬のアチコチから記憶が飛び出し、グチャグチャに混ざって一本の話をくみ上げているそうである。
脳味噌を整理しているという話もあるから
これもやはり神経が緩んで変なトコロと変なトコロとが繋がっているのだろう。
問題はこの否応なしに繋がるトコロである。
皆一度はドリンクバーで何でも混ぜてみるなんて事をしたことがあるハズである。
この混ぜる飲み物の種類を間違えるとどうなるか、皆味覚をもって知っているハズであろう。
夢も同じではないかと。
混ざる記憶、経験。これらの加減が少し違うだけで
思い出すだけで感動する夢にも
寝るのがイヤになる悪夢にも変わる。
寝ている間の事だけに制御は難しい。
そうであるならば、
出来る限りの教養を身につけ、
なるべく素晴らしいトリップが引き当たるようにしようではないか。
「教養とトリップ」の話を耳にしてより数ヶ月以上は経った。
その時身を正そうと思った私はけっきょく自堕落を続けている。
月に一度、小説を読むかどうかの状態はなお健在であった。
しかしながら今日、この発見により私は再び、
身を正そうと思う事に相成った。